ウガンダ北部の難民居住地区を訪問しました
皆さん、こんにちは。RICCI EVERYDAY代表の仲本千津です。今回のウガンダ出張では、ウガンダ北部の難民居住地区を訪問させていただきました。
実は私のウガンダ人生で、ここまで北に出向いたことはなく…首都カンパラから車で約10時間、コンゴ民主共和国と南スーダン国境に近いところにあるAruaという町に向かいました。道中、国立公園周辺を通ったということもあり、行きも帰りもゾウやカバ、キリン、インパラなど、さまざまな動物を見ることができ、サファリを楽しんだ気分になれました。
今回、難民居住地区で活動する2つの団体を訪問しました。
一つはインヴェピ難民居住地区 (Imvepi Refugee Settlement)で活動するピース・ウィンズ・ジャパンさん。インヴェピ難民居住地区自体は2017年に開設され、15,000世帯(難民世帯66,000人、ウガンダ人世帯45,000人)が暮らしており、その内84%が女性や子どもたちと言われています。居住地区は4つのゾーンに分けられ、内3つは南スーダンからの難民、1つはコンゴ民主共和国からの難民の方々が主に暮らしています。
南スーダンからの難民が大多数を占める居住区なのですが、そもそも南スーダンに何が起こったのかという背景を簡単に説明します。
南スーダンは2011年にスーダンから独立し、世界一若い国として世界的に知られるようになりました。しかし2013年から首都ジュバで武力衝突が発生し、一般市民を巻き込みながら内戦は南スーダン全土に広がっていきました。2015年に一時は停戦合意がなされましたが、その後再度銃撃戦が発生。政府軍による国民に対する深刻な人権侵害が多発し、国を離れる人が多く発生したのです。国境を接するウガンダには多くの難民が流れ込みました。インヴェピ難民居住地区の他に、ライノ難民居住地区やビディビディ難民居住地区など、多くの難民居住地区が開設されました。
ちなみに私が「難民キャンプ」と言わずに「難民居住地区」と呼ぶのにも理由があります。ウガンダ政府はオープン・ドア・ポリシーをとっており、難民として入国した人々に、定住を前提としたさまざまな権利を認めています。例えば、自営業として仕事をする権利や、教育や各種ソーシャルサービスを受ける権利、移動の自由などです。そのため一時的に受け入れる「キャンプ」ではなく、定住を前提とした「居住地区」と呼んでいます。
インヴェピ難民居住地区にピース・ウィンズ・ジャパンさんが新たに建設したWomen Development Centreでは、難民たちだけでなくホストコミュニティの方々も含めて、職業訓練とメンタルケアを提供しています。なぜ難民だけを対象にしないのかというと、ウガンダ政府からの要請で、ホストコミュニティに暮らす方々との平等性の観点から、受け入れ負担を担うホストコミュニティのエンパワメントも目的としているからです。
こちらでは縫製やヘアーアレンジ、液体石鹸づくりの3つのコースに分かれて、トレーニングを提供しており、これまでに60名の人々が受講しました。この3つの技術は居住地区内での需要も高く、その後の経済的自立に寄与することが期待されたため、選定されました。トレーニング受講後は、自分で近隣のローカルマーケット内にお店を構え商売を始める人や、別団体でトレーナーとして、他の難民女性やホストコミュニティの女性たちを対象に、縫製や布ナプキン製作を教える人も出てきているそうです。
縫製業で商売を始める人は、まずはパンツの裾上げや穴埋めなどの洋服のお直しから始め、コツコツお金をため、チテンジと呼ばれるアフリカンプリント生地の仕入れ販売を行い、さらにお金が貯まったら自分でミシンを買い、オーダーメイドなどを受けるといった流れで開業します。
また居住区内の最大規模のローカルマーケットであるPoint Jも訪問しました。そこで、15名の生徒を抱えて縫製を教える女性に出会いました。彼女自身も南スーダン難民で、World Visionの支援で縫製トレーニングを受け、商品の販売をスタート。昨年から生徒の受け入れを始め、ウガンダ人の共同パートナーと共に、トレーニング施設を運営しています。
ちなみにPoint Jマーケットはこんな感じです。野菜、穀物、肉、魚、日用品、洋服など、各セクションごとに区画が別れており、多くのお店が軒を連ねていました。
夕方5時以降が1日で最も賑わう時間ということで、遅い時間までオープンしているお店がほとんどだそう。中にはヘアーサロンで髪を編んでいる人もいたり、このエリアに暮らす人にとっては、生活の中心地であることがわかりました。
二つ目に訪問したのは、ビディビディ難民居住区にあるMilaya Projectです。
彼女たちの存在を知ったのは、私が首都カンパラでよく行くクラフトショップに、素敵な刺繍が施されたクッションカバーが販売されていて、それを買ったことがきっかけでした。ライターのNina StrochlicとフォトグラファーのNora Lorekが、ナショナルジオグラフィックに記事を寄稿するために、現地の女性たちを取材しにこの地を訪れたのが全ての始まりでした。その後南スーダン難民の女性たちのグループを作り、Milaya Project発足に至りました。
この美しく可愛らしいモチーフが印象的な刺繍ですが、実は南スーダンでは伝統的に受け継がれている文化の一つで、女性たちは嫁入り道具の一つとして、刺繍を施したベッドシーツなどを持って行くのだそうです。紛争が勃発した時も、最低限の生活用品をこのベッドカバーにくるんで、命からがら逃げてきた人もいたそうで、彼女たちにとっては、自分たちのアイデンディティの象徴でもあります。
私は刺繍制作の現場を訪問させていただいたのですが、これがまたすごい所にあって、なかなか辿り着かない…苦笑。もちろん地図には載っておらず、電話を頼りに車を進めるのですが、途中小さな小川を渡り、小さな丘を越え、穴ぼこだらけのガタガタ道を進んで、その先に見つけた小さな小屋が、彼女たちのアトリエでした。
その日は作り終わった製品のアイロンがけと、検品、発送準備をする日。仕事で忙しいにも関わらず、とても素敵な歌とダンスで私たちを迎え入れてくれました。
彼女たちの作品を床にバババッと並べた様子は本当に圧巻。ゾウや牛、鳥や花など、彼女たちの生活風景を垣間見ることのできるデザインが、とても印象的でした。
現在50人ほどのグループで製品づくりを担っており、諸外国にも商品を送っているんだとか。
ここで働くブレンダという女性に話を聞いてみたのですが、自分たちの得意とする刺繍で収入を得られるのは本当にラッキーなことだと、嬉しそうに話してくれました。
今回の訪問を通じて、様々な難民女性たちに出会うことができましたが、彼女たちに共通するのは「自分たちが得られた経験を、他の難民女性たちにも伝え、彼女たちの生活向上につなげられるようにしたい」という、Pay forwardの気持ちでした。同じような苦境を経験している彼女たちだからこそ、この言葉に一段と重みがあるなと感じた次第です。
ただ今後、大きな課題が待ち構えています。FAOやWFPからの食糧援助がカットされる可能性があるとのことなのです。これは、難民の定住化が進むにつれ、FAOやWFPなどの国際援助機関の支援の優先順位が下がっていることが影響しています。ご存知の通り、ロシアのウクライナ侵攻や、パレスチナへの攻撃など、世界中で人道危機が起こっており、そういった地域への緊急支援が優先され、安定した地域における難民支援への関心が下がっている現状があります。そういった背景から、ブレンダを始め多くの難民たちが、今後食糧支援を受けられず生活に危機感を持っており、生計向上の可能性を模索しています。中には、ウガンダでの生活は厳しいと判断し南スーダンに帰国してしまう人もいるそうで、状況はかなり深刻です。
今回の訪問を通じて、難民居住区における現状を理解できたと同時に、一刻も早く彼女たちが自活できる手段を実現させる必要性を認識しました。RICCI EVERYDAYとして、今後どのような協働ができるのか、チームの中でも継続して考えていきたいと思います。
以上、ウガンダ北部の難民居住区訪問記録でした。今回ご協力いただきました、ピースウィンズジャパンの皆さま、Milaya Projectの皆さま、本当にありがとうございました。